こんにちは、「南紀ローカル通信」の枯木屋ユージンです
今回は、マーティン・スコセッシ監督の映画『タクシードライバー』のレビューです。
公開:1976年(アメリカ合衆国)114分
監督:マーティン・スコセッシ
脚本:ポール・シュレイダー
出演:ロバート・デ・ニーロ(トラヴィス)、シビル・シェパード(ベッツイー)、アイリス(ジョディ・フォスター)
出典:StockSnap Pixabay
社会的孤立は他人事ではない
この映画どんな映画?
私には上手く説明できません。
出来たとしても、安っぽい映画と感じられてしまうでしょう。
主人公は、1972年に次期アメリカ合衆国大統領に立候補した(ジョージ・ウォレス)を暗殺しようとした実在の人物(アーサー・ブレマー)の手記をもとに作られた映画です。
簡単には語れないので、いいなぁと思うところを抜き出して書いてみようと思います。
これだと、私でもそんなに頭を使わなくてもレビューが書けそうだ。
タクシードライバーの音楽
まだ学生だったとき、偶然にもタクシードライバーのテーマ曲を聴く機会がありました。
大阪の東梅田に、ときどき生演奏をしてくれるパブがあって、そこで友人と飲んでいたのです。
その日はたまたま、サックス奏者の古谷充(フルヤタカシ)のライブ演奏がありました。
この人は大阪では有名なミュージシャン。
二曲目くらいのあと、古谷さんが「映画タクシードライバー」と前置きした上でサックスを吹きはじめました。
それまで、酔っぱらって友人とだべっていただけの私は、メロディが流れたとたん固まって聴き入ってしまったのです。
「いい曲やなぁ、この映画を絶対観たい」
映画の導入部、ニューヨークの街を走るイエローキャブの映像をバックにこの曲が流れます。
私はイントロだけで映画に入り込んでしまいました。
ヒッチ・コック監督のスリラー映画やテレビシリーズのホラーなどを手掛けた作曲家。
しかしこの曲はスリラーやホラーの雰囲気ではなく、渋いジャズ。
タクシードライバーの人物像
といっても堅苦しいことは書きません。
ただ、タクシードライバーの主人公(トラヴィス)はベトナム戦争帰還兵という設定です。
映画の前面に押し出されて描かれるわけではありません。
それに、帰還兵という設定を外しても、主人公トラヴィスは十分に成立する存在だと思っています。
それは、トラヴィスは私と同じ男という生き物だからでしょうか?
大都会の中の孤独にイライラし、他人に認められず、タクシーの中に隔離されているような日常です。
意を決してデートに誘った女性(ベッツイー)にもフラれてしまう。
それに困ったことには、目的がないままでは生きられません。
自分の存在価値に悩み、内面の表現方法も分からない。
普通の男性なら(女性も)、多かれ少なかれこのような思いをしたことがあるはずです。
何も犯罪者だけに限ったことではありませんよね。
ただ、トラヴィスの見つけ出した目的が恐ろしい。
この怖さは単に映画が作り出したストーリーではなく、最初にも説明した実在の人物の手記をもとに書かれた脚本というところです。
そして、この映画が作られた後も、映画自体からはみ出したいろんな現象が起こりました。
それを説明すると長くなるし、レビューと外れたりもするので、ここでは止めておきましょう。
タクシードライバーの撮影と編集
この映画には、脚本や音楽だけではなく、撮影や編集にも引き付けられます。
トラヴィスが自分のアパートで拳銃を抜く練習をするのですが、真上からの俯瞰撮影で、トラヴィスの腕の動きに合わせてカメラが移動するワンカット。
クライマックスで、トラヴィスが発砲した一発の銃声の残響音の中に、建物内部の画像を数カット入れ込んだシーンなどです。
大変な効果なので、自分がもしいつかホームビデオなんか編集したら、真似してやろうと思っています。
モヒカン刈りは真似しないけど。
出典:MikeGunnerによるPixabay
最後のクライマックスシーン
は本当に異常な雰囲気だったな。
こんなタイプのアクションシーンというか、暴力描写をこの映画で初めて観ました。
リアリティを叩き台とした演出で、釘付けです。
そして、銃撃戦が終わったあとのトラヴィスの行動が、殺し合い以上に異常でゾッとします。
そうかこの映画、このまま嫌な気分で最悪の状態で終わるのか。
そうだろうな、ここで終われば確かに忘れられない映画になるし。
が、しかし
映画はそれでは終わらず、どんでん返しが待っていました。
映画でどんでん返しなどというと、大抵は取って付けたような不自然なストーリーや、しらけたものが多いのですが、この映画は違った。
まったく想像していませんでした。
タクシードライバーの結末
私の主観ではハッピーエンドだと解釈しています。
エンドロールに入るころ、映画の冒頭と同じようにトラヴィスはタクシーを運転しています。
その時、不穏な効果音と共に、トラヴィスがルームミラーで後ろの状況を観察するのです。
これでまた、もとの狂気の人に戻ってしまったと感じさせるシーン。
私の友人もそう言っていたし、ネットで調べてもこの見解がでてきます。
確かにトラヴィスはこの時点まで、世間や乗客を、自分の内面からは、ルームミラー越しにしか見ていなかったように思います。
ところが、不穏な表情でルームミラーを見ている自分に気付き、後部の情景が見えない方向にミラーの角度を変えてしまいました。
この行為はなんだろう?
トラヴィスは自分自身の狂気に気づいたのではないか?
これはハッピーエンドだと。
当然、人それぞれの解釈でいいのだろうと思います。
本当のところは映画を作った人にしか分かりません。
というわけで、いろいろかい摘まんで話してきましたが、
この映画の本当の面白さは
単に、スタッフやキャストの仕事ぶりだけでは、作ることが出来なかったのではないかと思うような面白さです。
原作となった手記と、スタッフやキャストが同じ時代に居合わせたことは偶然ですから。
そこがまた、この映画の価値を高めているのだと思っています。
となれば、尚更この映画タクシードライバーは、私にとっては傑作中の傑作ということなのです。
いかがでしょうか、説明の難しいこんな映画を観る気になられたでしょうか?
レビューは以上です。
ではまた、次の記事でお会いしましょう
2022年2月24日 記