こんにちは、「南紀ローカル通信」の枯木屋ユージンです
出典:Emile Guillemot Unsplash
以前の記事、『和歌山県白浜町に移住した理由』の中で、田舎へ移住して失業してしまうと、それはそれは大変ですと言いました。
逆に考えれば、収入さえ確保出来ればいいのだと。
私はそれが出来なかった為に、1〜2年の間いくつかのアルバイトで食いつないだ訳です。もちろん本業もこなしながら。
今回はそんなアルバイトの体験のお話をしようと思います。
なので、田舎へ移住する為の参考になる事は一切ありません。
ただただ、ちょっとした苦労話を聞いて貰いたいだけなんです。
しかし、ノンフィクションの範囲内で出来るだけ面白おかしく書くつもりなので、誰か一人でも読んで下さる方がいれば大変嬉しく思います。
どんなバイトをしたか?
(スーパーの品出し、海の家、パチンコ店専属の広告デザイン、アダルトビデオ店)など、主にこんなところ。
全てのバイトについて書く事はないと思いますが、海の家、パチンコ店、アダルトビデオ店、の三つを予定しています。
先ずは、一番精神的にきつかったパチンコ店からにしましょう。
このバイトに関しては、友人に近況報告を送った当時のメールが残っていたので、内容としては、ほぼそのままの形で綴ってゆきます。
リアルタイムで書いていた物なので、なかなか臨場感を感じたからです。
なおこの体験談が、パチンゴ業界を誹謗中傷したり批判するものではありません。
あくまで私個人のエピソードということです。
パチンコ屋通信
199〇年 夏
今からだと、もう20年ほど前になるでしょうか。
生活に困っていた私は、何度となくハローワークに通っていて、そこで【パチンコ店アキレス:仮名 の専属デザイナー募集】の求人をみつけました。
しかしこの求人は1年前にも見ており、35歳までとあったので放っておきました。
年齢で言えば私は10歳ほどもオーバーですが、他に皆目仕事がありません。
ハローワークの職員に尋ねてみました。
「何故、いつまでもこの会社の求人が出たままなのか? この会社に勤めても大丈夫なんだろうか?」
「ん~それは、あっちが求める人材がいないか、ろくな職場でないという事やろね」
なるほど、アドバイスであり忠告であるような気がしましたが、しかし今は目先のお金に走らなければなりません。
ダメもとで、アキレスの人事へ問い合わせて貰ったところ、資格としては(デザイン経験者と大卒であること)
デザイン経験者であることはいいとしても、なぜ大卒でなければいけないのか解らない。
まぁいいや、私は大卒であることに間違いはないのだから。
すると、面接に来てくれとなったのです。
アキレスの事務所に行くと、
会長と呼ばれる人が居ました。
しっかり太っていて、60歳はとっくに過ぎているでしょう。この人がオーナーでもあります。(指圧師の浪越徳次郎さんに、どこか似ている)
パチンコ店の専属デザイナーが、どんな内容の仕事かよく解りませんでしたが、
店内の新台紹介やイベント告知のポスターなどを作るという仕事です。
自分が仕事で描いたものを3点ほど見せると、「いくら欲しい」と聞かれ「20万」と答えました。
20万は、ハローワークの給与欄にあった金額をそのまま言ったのです。
いろんな求人を見ていましたが、当時この地域では月給15万円でも良いほうです。
「40万円」とか言えるはずがありません。
では次の日から来てほしいとなり、握手を交わし、バイトではなく正社員の契約です。
このパチンコ店は計6店舗のチェーン店で、地元の人達に聞いてみると、あまり評判は良くなく厳しい所のようです。やっぱりな。
翌日、
それなりの覚悟を決めて出社しました。
すると前任者がいません。けっこう揉めて退職していったとのことです。
いくらパソコンでポスターを作ることが出来るとしても、苦労することが決定したことになります。
それに何より、開店までの朝礼や店内放送の発声練習が私には異常に思うくらい凄い。
何分も繰り返しています。
パチンコ店は大体こんなものらしいのですが。
会長はまず、自宅に一番近い店舗で朝の5時半に朝礼を済ませ、それからこの本店に出社して朝礼をします。毎日
そして怒鳴りながら店内を巡回をするものだから、ホールスタッフは開店前にはヘトヘトになっていました。
パチンコ台の電子音も既に店内に充満しているので、なんだか奴隷船のような宇宙船のような雰囲気です。
出典:kohacu.com
私はそんな中で、古いポスターを張り替えたり景品を揃えたりしていました。
朝礼が終わると、
2階にあるデザイン室へもどります。
デザイン室はとにかく狭くて暑い。
それでも、ドアは開けっ放しにしておかなければなりません。
エアコンを使う時でさえ。不思議ですよね。
だから、なかなか涼しくなりません。
けれど、そんな事は聞いていないふりをしてドアは閉めておきました。絶対、何か言われるけれど。
ある日、会長がデザイン室の前を通りかかり、「ドアは開けておきなさい、密室で仕事させてると言われるから」
私は先に答えを用意してあって、「電気代が勿体ないと思いまして」と返しました。
「かまわん」と会長。
翌日出社すると、ドアは透明のガラス入りの物に交換されていました。
大手を振って、ドアを閉めてエアコンを効かせてもいいのです。
私の小さな抵抗は全くの無駄ではなかった。
この一件はこのパチンコ店の何かが象徴されているようで、私にはなかなか面白い出来事です。
最初の仕事らしい仕事は、
ドル箱プレート(パチンコ玉をドサッと箱に入れた時に、突き立てておく番号札のこと)を作ることでした。
数字だけでなく、何かデザインをあしらって欲しいと言われました。
簡単なことでしたが、全店舗分なので、800枚くらい作ったのでしょうか。
800枚出力して、ラミネートして、カットする。
これは一人では無理なので、従業員総出となります。
この時にホールスタッフ以外の従業員と接触したのですが、事務のおばさんや、データ管理の若い女の子やら、雰囲気が悪い。
雰囲気と言うより、数人の悪人たちがたむろしている風です。
このデータ管理の女の子は私が入社してすぐの時から、癇に障る物言いをしてきました。
それはまだいいとして、仕事をしながら周囲とだべっている内容が酷い。
「きのうな、映画観に行ってな、途中で眠たなってな、最後のほう寝てしもてん、ハハハ。せやから最後のほう、どないなったか分からへんねん、ハハハ。彼氏にな、おまえ寝てたでて言われてん、キャッハハハ」
これを幼児のような話し方で、いつまでも続ける。
この人達と、戦いながら駆け引きしながらでないと仕事になりません。
理由は解りませんが、店長はじめホールスタッフは概ね好意的なのに。
ただこのドル箱プレートの仕事で、自分の立ち位置の輪郭が掴めたように感じました。
そうやって日がたって行くうちに、デザインの材料が不足してきます。
ある日、財務部長が来て、
「枯木屋さん、必要な物があったら何でもドンドン発注してください」 金額も気にしなくていいとのこと。
この人は、阪神大震災の時はまだ高校生だったという会長の息子さんで、大学を卒業して入社したばかりです。
コピー用紙やラミネートフィルム、両面テープを次に困らない程度に発注して、数日後それが届くと、財務部長に呼び出されてしまいました。
「なんでこんな物を、こんなに沢山、発注したのか」
えっ? 当然スッたもんだになります。
ただ一つだけ弁護すると、この人はデザインの仕事内容なんか全く分かっていないし、そんな事への想像力もありません。
この部長の威圧感というのは相当なもので、私の思っている会社の上司のイメージとは明らかに何かが違う。
普段接していると、言葉遣いも態度も穏やかで、まるでパンダのようです。
しかし話が微妙に深くなると、この人はいったい何について話しているのか、得体が知れず怖くなって、そこでお茶を濁して会話を終わらせます。
パンダのようにゆるキャラなのに、狂犬病にでもかかっているのでしょうか?
この財務部長と、さっきのデータ管理の女の子は仲がいい。
「お前、どこいってたんや」
「トイレやで」
「トイレ?」
「おしっこやんか」
「おしっこ? おしょんしょんか?」
「おしょんしょんやで、フフフ」
「おしょんしょんか、ハハハ」
「ハハハハハッハッハ」
こんな会話がいつまでも続く。
そんな部長と言い合っている時、ふと視線を感じました。
その眼は「やめとき、やめとき」と言っているように感じました。
この女性は間違いなく、「こちら側」の人間だ。
私の直観は後々証明される事になります。
アキレスを退職後、偶然にこの女性と銀行で会って、少し世間話しをしたのです。
私より10歳ほど年上でしょうか? そのこともあってか、退職後の私のことを心配してくれていた節もあり、いまだに覚えている穏やかなひと時でした。
この経理部の女性の忠告通り、狂犬病のパンダと言い合うのはやめて、「はい分かりました、これからは注意します」ということで、その場を打ち止めとしました。
本当に疲れる
その数日後、
また財務部長がデザイン室へやって来ました。
今度は何だと思って構えていると、私に部下を付けてくれると言います。
「入社して2週間も経っていないのに、部下が付くのか?」
デザインの専門学校を卒業して、滋賀県から住み込みでやって来るのだそうです。
「それは止めた方がええで」と、まだ会ってもいない本人に言ってやりたかった。
しかしこれは、私には大変良いことではないかとも思いました。
デザイン学校を出ているのです。
デザインの技術や知識を豊富に知っていて、何でも教えて貰えるのではないかと。
私は全くの独学だし、どこかに勤めてデザインの仕事をした経験もありません。
デザインが手描きからパソコンに移行し始めた時期、パソコンの基本的な操作もできませんでした。
明日納品というのに、膝に(初めてのフォトショップ)とか(初めてのイラストレーター)とかのハウツー本を置いて、パニクッていたのです。
翌々日出社すると、
私の救世主になるかも知れない(岡本君:仮名)が会社に来ていました。
財務部長に連れられて、店内施設の案内などをしてもらっているようです。
最後に私の所へ二人で来て、財務部長が「何でも枯木屋さんに聞いてやりや」といい、岡本君を残して去っていきました。
岡本君は朴訥な感じの若者で、意外にももう25歳だと言います。
どこをどれだけ探しても、デザインの仕事は見つからず、唯一このパチンコ店だけが、デザイナーを募集していたそうです。
それで滋賀くんだりから、こんな南紀のパチンコ店まで住み込みでやって来たのだと。
確かに、私も生まれてからこれまで(デザイナー募集)の求人なんか、見たことがないかもしれません。そんな求人自体を探したこともなかったのですが。
彼と話していて何故かは忘れましたが、そのとき岡本君はボールペンが必要になりました。
ボールペンはデザイン室にいくらでもあります。
しかし岡本君は、今ボールペンを持っていないのではなく、住み込みで働きに来たのに、文房具一式どころかボールペン一本すら持ってこなかったことが判明しました。
これからデザインを仕事にしようとしているのに。
この時点で私は、岡本君に「滋賀に帰れ」と言うべきだったのです。
ほんの短い間一緒に仕事するうち、なかなかの人物であると思うようになりました。
実家から、ローンで買った外車の(ジープチェロキー)でやって来て、切れ味の悪くなったカッターナイフの刃を指で摘まんで折ろうとします。
ある日なんか、
一旦寮に帰っていた岡本君が、凄い勢いでデザイン室に戻ってきて「枯木屋さん大変です」と、言うのです。
何が起こったのかと思って聞いてみると、「バリカンの刃を間違えて、ここだけちょっとハゲみたいになってしまいました」と、説明してくれました。
ボールペンすら持ってこないのにバリカンは持ってきたのか。
言われてみると、確かにそこだけ極端に髪が短く見えます。
ため息を堪えながら、「じゃあ帽子を被るとか、そこに大きめの絆創膏でも貼っといたらええんちゃうか」と提案し、その場は収まりました。
やれやれ
翌日の朝礼で岡本君を見かけると、この暑い時期に、毛糸の真っ黒い帽子を深々と被っているではありませんか。
私は笑う気力もなく、「また、会長か部長に何か言われるぞ」とだけ思いました。
開店時間となって軍艦マーチが流れ、お客さんが雪崩れ込んで来ても、帽子のままお辞儀を繰り返しています。
私の知った事ではありません。
二人でデザイン室に戻り椅子に座ると、やっと一息です。お茶なんかどこからも出てきませんが。
岡本君は流石に暑くなったのか、そこででようやく帽子を脱ぎました。
すると頭には、大きな絆創膏が貼られてあるではありませんか。
私は、椅子から落っこちそうになりましたす。
この会社では相手が誰であれ、油断してはいけません。
最後の期待は、
岡本君のパソコンを使ってのデザインの知識です。デザインの専門学校を卒業しているのです。
時間とお金があれば、私は今からでもそうしたい。
「岡本君、なにか新台のピーアールのポスター、暇なうちに作っとこか。簡単なんでいいから」
デザインといってもここで要求されることは、パチンコ台メーカーから送られてくるパンフレットをスキャンして取り込み、店舗に合わせた加工やコラージュをするだけです。
財務部長からは、岡本君はマックを多少触れると聞いていました。
「はい」と言ってモニターの前に座った岡本君は、フォトショップを開くとそのままフリーズしてしまいました。
私が、何か声を掛けないと動きそうにもありません。
「岡本君、専門学校ではパソコンでデザインの授業とかなかったん?」
岡本君の答えはよく理解できませんでしたが、「フォトショップの開き方や閉じ方」みたいな事を言うのです。
「噓やー!」と、心の中で叫ぶ。
その後、岡本君と私は二人三脚で協力して仕事をこなして行きました。
ただ困った事がまた一つ。
何をするにも何処へ行くにも、岡本君は私のそばを離れません。
トイレに行く時は一人にしてくれます。
会社の雰囲気がそうさせるのでしょう。25歳の岡本君には無理もないことかもしれない。
救世主どころではなくなってしまった。
その後更に何日か経過すると、
会長がデザイン室に来て言いました。
「枯木屋くん、店内を何かやってくれんか」
要約すれば、「給料を払っているんだから、もう少し何か仕事をしなさい」ということです。
私自身もそろそろ、何か目に見える仕事をしなければ、と思っていた時でした。
ただ、店内をどれほど見渡しても、手を加える所がありません。
会長にどんな事をしましょうかと聞いても、何か考えてくれという答えしか返ってこない。
仕方なくホール店長に相談にいきました。
パチンコ台の種類分のポスターは各場所に貼り付けてあるし、二人で首をひねっても何も出てきません。
結局、同じポスターを2〜3枚連続して貼り付けていこう、となりました。カッコ良く見えるだろうと。
次の日、店長と一緒にそれをすべてやり終えました。
その次の日、会長が出社して激怒しました。
「枯木屋くん、おるか!」
ゴジラが炎を吐くように怒鳴られまくったのです。人の声というものは、この大きな空間にこれだけ響き渡るものなんだ。
でも心のどこかで、十分予測もしていた事でもあります。
「一つの場所に、パチンコ台の説明は一つだけでええのや!」
これはその通りだし、私も分かっていたことです。
会長に何かやれと言われて何もしない訳にはいかないし、会長の怖さを一番知っているであろう店長との打ち合わせもしています。
通路の端から、店長が私に向かって手を合わせ、頭を下げているのが見えました。
仕方がないので、笑顔を返しておきました。
こんな時は映画の登場人物のようにクールでいようと、一瞬で思いついたのです。
それに、ポスターを元に貼りなおす私の手は、震えてはいませんでした。
出典:パブリックドメインq
翌日の朝礼で、会長はまた私を怒鳴り散らしました。
いったい何事だと思い、集中して耳を傾けます。
昨日と同じことで怒鳴っている部分と、まったく訳が解らない事でも怒鳴っているのです。
今やれと言った命令が、今出来ていない事にブチ切れているようでもあります。
もうこれは限界だな。
潮時だろうと考えると、私の心拍数がどんどん下がるのが分かりました。
今日退職したとすれば、先月の給料計算の締め日から、10日以上経っている。
給料は現金支給なので、この会社ならその分の給料は支払ってくれない可能性があるけれど、そんな事はもうどうでもよくなってしまった。
デザイン室に戻って、少し休憩しながら考えていました。
どのタイミングで会長に退職したいと伝えるか。
他店舗やこの本店のスタッフたちの情報によると、前任の専属デザイナーは二人居たらしい。パチンコ店に来る前は、二人とも企業のデザイン部門で働いていたのだそうです。
その企業は、私でも聞き覚えがある会社でした。
二人はこのパチンコ店経営者側と、いろいろトラブルになったと言います。
内容は省きますが、しばらく勤めてみて、それは何の不思議もないように思われました。
ある日、二人は突然出社しなくなって連絡は取れないままです。
そしてデザイン室のパソコンのデータは全て削除されていたらしいのです。
退職するにしても、それなりの度胸が必要だ。
なんとなくボーっとしていると、
会長室からガサガサと物音がしてきました。
会長室はデザイン室のすぐ斜め前にあります。
会長がいつも定時に帰宅するとは限らない。私服に着替えている最中なのか。
今日、退職を申し出ないと、明日も出社しなければいけません。
私は急いで、仕事で使っている大きい方のカッターナイフの刃を目一杯引き出し、それが誰の目にもはっきり視認できるよう、胸のポケットに差し込みました。
思ったより早く、会長が出てきて階段を降り始めています。
すぐ会長の後を追うと、下には待機しているタクシーが見えました。
「会長!」
聴こえないのか、階段をどんどん降りていきます。
「会長!」もう一度呼んでも、降りていく。聞こえているはずだ。
こんどはヤッホーをするように、両手を口に添えて「会長!」と、ほぼ怒鳴っていました。
これで立ち止まらなければ、タクシーまで降りていって、目の前に立ちはだかるしかありません。
「あ~、何か?」と、弱々しい声で言って立ち止まり、少し振り返りました。
そんな振り返り方だと、私が誰だか分からないだろうし、肝心のカッターの刃が見えないではないか。
しかし、分かっているようでした。
「お急ぎですか?」
「あ~、何か?」と、また言いました。
ホールで威張り散らして、怒鳴り散らしている時と何かが全然違います。
パチンコ店の経営者というものは、追いかけられると弱いのかもしれません。
タクシーのドアが開きました。
「とても勤まりそうにないんで今日で退職させて下さい。勝手言いますけど」
言い終わったと同時に、もう後部座席に乗り込んでいて、タクシーは走りだしました。
その時会長は、コクンコクンと二度頷いていたのです。
どさくさに紛れた形になったけど、会長はとにかく了承したし、この日はパンダも他店へ行っていませんでした。
これは上手くいけば、円満退社扱いとなるのではないか。
デザイン室に戻り、
岡本君に成り行きをざっと説明した後、その足で人事課へ行きました。
二人いる中年女性の比較的愛想のいい人に、今日で退職すると説明。
会長がOKした以上、誰も文句は言えないのです。
「あっそう、寂しなるわよ。そしたら給料振込にしとく?」
一番気になることを、先に向こうから言ってくれた。ありがたい。
しかし、この反応と対応の速さは何だ。
退職する前に挨拶しておきたい人が一人。食堂のまかないのおばちゃん(もう、おばあちゃん?)です。
今日で辞めるというと「そうか、よう我慢したな」と言ってくれました。
私は2ヶ月も居なかったのですけどね。
この人は、いつもとても明るい人なのですが、私はそれを不自然に感じていました。
多分この人なりに、今の境遇が私以上に辛いのではないかと思っていたのです。
その証拠に「どこへ行っても頑張りや」と言ってから、少し涙ぐんでいるようでした。
まぁこういう訳で、飛び石をぴょんぴょん跳ぶように、パチンコ店をめでたく退職することが出来たのです。
翌日私は、
白浜の【平草原展望台】に立っていました。
新鮮な空気が吸いたかった。
ここは白良浜と田辺湾を見下ろすことができる、なかなか気持ちの良い所。
また失業した訳ですが、パチンコ店から解放された爽快感があります。
でも気になるのは、置き去りにして来た岡本君のこと。
携帯の番号は聞いていたので、連絡を取り地元のコンビニへ呼び出しました。
行ってみると、既にジープチェロキーが駐車してあります。
今の私や岡本君には無用の長物。
「家へ来てお茶でも飲んでいけよ」
岡本君は断りました。自分は今こんな状況なので、人の家庭の暖かさに触れると、よけい辛いのだと。
これも予測していたことで、なかなかまともな事を言います。
私の25歳の時と比べると、私より更にドジでしっかりしていない印象ですが、完全に「こちら側」の人間。
出典:ebaalparra Pixabay
もう、そろそろ夕方になっていました。
「じゃあ近くの店で晩めしでも食べよう」 岡本君の表情がまた曇ります。
「心配すんなよ、俺奢るんやから」
何度か行ったことのある、地ビールが美味しいレストランまでジープチェロキーで移動。
何かと話しているうちに岡本君は大分リラックスしたようで、パチンコ店にいる時には見なかった、ニコニコ顔になりました。
一人になって増々働きづらくなっていたようです。
年齢的にも、周囲から重きを置いてもらえないのでしょう。
岡本君も結局、アキレスから(夜逃げ)すると決めていました。
給料を手渡しで貰ったその日の夜に決行するのだと。当然2週間分ほどはただ働きになってしまいます。
そうだな、勿体ないけどそれしかないか。私でもそうしようと思っていたのだから。
もうお互い連絡を取り合うこともないでしょうが、岡本君にはやっぱり、これから頑張てってくれと言いました。
まだ25歳、次に勤める会社は居心地の良い所だと感じるはずです。
アキレスの方角へ、交差点を左折してゆくジープチェロキーは、少し悲しそうでした。
明日からまた仕事探しです。自分こそ頑張らなければなりません。
おしまい
お疲れ様でした。
いかがでしたか、パチンコ店の体験談は以上で終了です。
知らずしらずに、予測よりどんどん長くなっていました。
それに、読み返すとなんだか【日本昔ばなしの】ような、語り口で笑ってしまいます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ではまた、次の記事でお会いしましょう
2022年5月16日 記