南紀ローカル通信

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どこまでも芝居じみた映画『復讐するは我にあり』

こんにちは、「南紀ローカル通信」の枯木屋ユージンです

 

今回は、今村昌平監督の映画『復讐するは我にあり』のレビューです。

 

公開:1979年(日本)

監督:今村昌平

脚本:馬場当

原作:佐木隆三

出演:緒形拳(榎津巌)、三國連太郎(榎津鎮雄)、ミヤコ蝶々(榎津かよ)

 

 

 数少ない邦画の傑作

 

どんな映画か? 

即座に感想を言いなさいと聞かれたら、 

「なかなか濃くて、しんどくて、面白い映画です」と、まずは答えておきましょう。

レビューを書くために観なおしました。

やっぱり濃い映画だ。

 

初めて観たのが約40年前

この時はまだ自分も若く、映画の面白さに引き込まれ、しんどさを感じませんでした。 

そう、面白いのです。 始まってすぐに釘付けです。 

 

邦画の中で、ごく稀にみる傑作だということは間違いありません。 

 

【戦後最悪の連続殺人】と言われた実際の事件の犯人、(西口彰)の犯行と逃亡を題材に描かれた作品。 

映画では(榎津巌)という名前で、緒形拳が演じています。

 

逃亡劇なので、ロードムービーでもあるなと私は思っていて、そういったことも面白いと感じる要因なのでしょう。 

 

原作は佐木隆三のノンフィクション『復讐するは我にあり』 

 

事件が昭和38年、制作が昭和54年なので、今の若い人からすると、昭和レトロ満載の映画に感じると思います。 

 

まず映画の構成で引き込まれる 

最初の殺人は金銭目的で1963年ですが、

映画は翌1964年、榎津が逮捕され護送されるところから始まり、榎津の供述を基に映画が進行するスタイルをとっていて、時間軸では進みません。

 

警察が榎津を追って血縁や関係者に聞き込みをして行き、このときの証言でまた時間軸が前後します。 

ギクシャクしたようにさえ感じる編集で、ボ―っとさせてくれない。

 しかも一か所、後ほど説明しますが、時間だけではなく空間まで交差します。 

でも、これで引き込まれてしまうわけで、本当に上手い。

 

 ひとつひとつのシーンがキツイ 

連続殺人事件が題材なので、殺人場面が何度もでてきてキツイ。 

こんな内容の映画なので、そこで描かれる性描写が、映像的にではないけれどキツイ。 

こんな内容の映画なので、そこで描かれる人間関係がキツイ。 

 

なので、具体的な映画の内容はここでは止めておきましょう。 

純粋にレビューとして話していきます。

 

今村昌平ワールド 

抽象的にしか言い方が見つかりませんが、

今村監督は簡単には言語化できない何かを、特に日本社会の何かを、

このノンフィクション『復讐するは我にあり』を通して表現できると、感じたのではないでしょうか。 

そう思います。

 

この映画について、リアリティが凄いといったような事をよく耳にします。 

それはその通りで、実際の殺人現場で撮影をしてるらしいのです。リアリティにはこだわっているのでしょう。

観る方が首をかしげるほどです。 

 

しかしです、映画全編は芝居じみています!

実際の連続殺人事件、その事件のノンフィクション小説。

そこへ芝居をベタベタ貼り付けて行ったような感じ。

台詞だってそうです。( 狂言回し)とさえ言いたい。 

そしてなんと、榎津巌が映画のなかの台詞で「やめれやめれ狂言は」と言うシーンがあるのです。 

観る側の感じていることを、映画の登場人物がそのまま言ってくれる。 

これも何か計算があるのか?

 

この狂言を回す俳優たちの気迫が凄い。 

 

ここでさらに、頭にもたげてくることがあります。 

芝居じみているんだけど、しかし。 

こんな風景、自分が幼いころ何処かでよく見ていたような気がするな。もしかしたら現在でも、この近所でも。

 

たとえば、巌とミヤコ蝶々が演じる母親(カヨ)の描写。 

カヨは息子を溺愛していて、30歳を過ぎた巌に小遣いをあげたりするところや、

息子が殺人を犯したと聞かされても、「あの優しい子が」と泣き伏せるシーンなど。 

何かの犯罪の本当のニュース映像にも、こんな場面があったような気さえします。

 

でも、三國連太郎演じる父親(鎮雄)とはまったく相容れません。

 

戦時中、長崎県五島列島に住むクリスチャンの榎津一家。

ある日、軍部から「漁船を差し出せ」という理不尽な命令に、鎮雄が屈した時から、巌の父親への反発が始まりました。

このあたりはフィクションなのでしょうが、大変引き込まれるシーケンスの一つです。

 

たしかに、父と息子というものは何かをきっかけに対立関係に陥ることは、ままあることでしょう。

 

映画では、巌の犯行のエネルギーの出所は、父への反発にあると言っているようです。 

 

私事ですが、

この母親役のミヤコ蝶々を見ていると、私の母親ではなく、どうしても祖母を思い出すします。

子供より孫のほうが可愛いと、よく聞きますよね。

観ているときに、こんなことを感じさせられてしまうのは、今村昌平にしてやられているんだろうなと思うのです。 

 

この母と息子のシーンでもうひとつレビューしておきたいところがあります。 

 

巌は、逃亡先で自分が宿泊している旅館の、女将とその母親を殺害。 

(ハル)が先に殺されている事も知らずに、母(ひさ乃)がゆっくり二階の自室へ上がって行き、その後を榎津がそっと追ってゆく。

 

その廊下の奥の暗がりから、なぜかミヤコ蝶々が歩いて来て、巌とすれ違うように交差するのです。

 ゾッとします。

 

ここが時間だけでなく空間も交差すると言ったシーン。 

この場面の真意、意図するものは分かりませんが、忘れることは有り得ないだろうワンカット。 

素手で触りたくない映画。 

 

私はこの映画の出演者の中で、ミヤコ蝶々が一番のお気に入りなのです。

俳優然とした出演者たちの中で、力が抜けていて自然体。暗い役どころで控えめな演技。

なのにどこか明るいのはなんだろう。 

ミヤコ蝶々を昔から好きだったような気もします。 

 

こんな映画の音楽 

が、耳に残っている人が何処かにおられるでしょうか。 

無骨で泥臭い音楽 、池辺晋一郎 作曲 

当然、緊迫した怖い雰囲気ですが、力強くノリが良くポジティブな気分になります。 

こんなことを感じるのは私だけではないでしょう。

 

出典:Wikipedia Yoshinori_Sakai 1964年 東京オリンピック

 

最後に 

この映画を初めて観たときには覚えていなかったのですが、 

西口彰がこの事件で逮捕された年が、1964年の東京オリンピックの年であったことがチラッと映画に出てきます。 

少し驚きました。 

このレビューを書いている今現在、2021の東京オリンピックの真最中なのです。

ただの偶然 。

 

しかし、1964年の東京オリンピックから57年も経って、日本は何かが変わったのか?

社会形態も人心も、ものすごく変化したように思えるけど、何も変わっていないようにも思える。

そんなことを、ふと、考えさせられました。

 

古い映画を観るのも悪くない。

 

 レビューは以上です。

どうでしょうか、この狂言を観てみたいと思っていただけたでしょうか?

 

ではまた、次の記事でお会いしましょう 

 

2021年7月30日 記