こんにちは、「南紀ローカル通信」の枯木屋ユージンです
今回は、フランシス・フォード・コッポラ監督の映画『ドラキュラ』のレビューです 。
公開:1992年(アメリカ合衆国)128分
脚本:ジェイムズ・V・ハート
原作:ブラム・ストーカー
出演:ゲイリー・オールドマン(ドラキュラ伯爵)、ウィノナ・ライダー(ミナ・マーレイ)、アンソニー・ホプキンス(ヴァン・ヘルシング教授)
出典:Cari R. Pixabay
まず、重々しいクラシック音楽が流れて始まります 。
私たちの普段の生活では、抱くことがないだろうと思う、感情を刺激してくれる音楽。
これは面白そうだ。
盛り沢山で感想を一言で言えない
怖い、キモイ、エグイ、エロイ、可笑しい、美しい、重厚、切ない、など感想としてはいろんな言葉が次々と出てきます。
これを、ひとつの映画の中にまとめ上げてしまうセンスは、なかなか凄いことです。
映画の作者はいつも、監督ということになってしまいますが、設計図は脚本なのだから、私は半分以上は脚本家が作者だと思っています。
しかし『ドラキュラ』はやっぱりコッポラの映画です。あくまで私の主観ですが。
最初に書いた抽象的な感想は、全面コッポラ色と思えます。
怖い・・・ホラー映画だから当然ですが、悍ましいのにメルヘンチック。
キモイ・・・これもホラー映画なんだから当然ですが、うまい具合に可笑しい。
エグイ・・・ドラキュラの愛人たちの首が跳ね飛ばされたりするシーンがありますが、なんだか漫画っぽい。
エロイ・・・相当にエロイです。女性が吸血鬼に襲われるシーンや、バンパイアと化した美女たちが登場するところ。私のようなオジサンには、アダルトビデオなんかよりよっぽどエロイ。
こんな風に、どんな場面でも可笑しさと美しさが漂っていて、しかも重厚です。
作り手が楽しんでいるのでしょう。
重厚といった部分は西欧の歴史的、宗教的背景に関わるところなのだと思うのですが、それは物語性だけの事だけでなく、衣装や美術も重厚で美しい。
特にプロローグ。
この時点で、ただならぬ映画だなと感じます。
切なさ・・・肝心のストーリーは映画を観てもらうこととして、一言でいってしまえば「時空を超えた恋愛映画 」となるのでしょうか? それが切なさを感じさせます。
ブラム・ストーカーの小説ドラキュラは、こんな話だったのかと初めて知りました。
ただ私は、基本的に恋愛映画は嫌いなのです。
ストーリーに付随してくる恋愛描写はいいのですが、恋愛その物がメインテーマの映画がダメなんですね。
理由を聞かれても、嫌いだからとしか答えようがありません。
話がそれました。
しかし、この映画にも不満な点が三つ。
ドラキュラ伯爵が怪物の姿に戻ってしまったとき
・・・ドラキュラは、人物も知力も意志力も、何もかも尊敬に値する人なのだから、怪物の姿になってもそれを感じられるような造形にしてほしかった。
出典:PublicDomainPictures Pixabay
クライマックスへの追跡シーン
・・・太陽が沈んでゆく時間を賭けて、逃亡しようとするドラキュラ伯爵と、伯爵を退治しようとするヴァン・ヘルシング教授側の追跡シーン。
不思議なことに緊迫感がない。
太陽光に晒されると、ドラキュラが死ぬのは誰もが知っていることなので、お決まりのパターンとして、カットバックでざっと流してしまったのか?それはないと思いますが。
短時間のシークエンスでも、ハラハラドキドキさせて欲しかった。
この部分を予告編で観たのなら、オッ!という感じなんだろうけど。
最後の対決
・・・ドラキュラ伯爵と追跡側の最後の対決シーンが物足りないなぁ、
あまりに漫画チックになるのも好きじゃないけれど、ドラキュラ伯爵の奥深い恐ろしさをもっと感じたかった。
しかし、それらの事は些細なことと思えるほど、この映画は好きなのです。
3回観てしまいました。
最後に、この映画のイメージをなんとか分かりやすく?表現したら、 大劇場で上演される、最高に豪華な『影絵紙芝居』
こんな印象でしょうか。
実際、映画の中で、ドラキュラ伯爵軍による敵兵殺戮シーンは影絵風だし、映画全体もそれを意図しているに違いありません。
ほんとに豪華で楽しい映画です。
レビューは以上です。
どうでしょうか、あなたも紙芝居を観たくなったでしょうか?
ではまた、次の記事でお会いしましょう
2021年11月14日 記